サレジオ家族の第一保護者
人間の歴史の中で、聖母マリアの実際的な助けを、幾度となく体験しています。特に、教会の存続が重大な困難にあったとき、その体験は顕著にあらわれます。このような歴史をとおして神の母、また「キリスト信者の助け(扶助者)」という呼び名で、聖母に寄り頼む習慣ができました。
19世紀半ば、教会の歴史はさまざまな問題を抱えていました。イタリア・ウンブリア州の司教たちは、神の母、キリスト者の助けなる聖マリアの取り次ぎを求めて神に祈るように呼びかけていました。1862年3月、ウンブリアの小さな町スポレートで、崩れかかった教会にあった聖母像が子どもに話しかけたことからこの地を訪れる巡礼が増え、スポレートの大司教は聖母像に「扶助者聖母(Auxilium Christianorum)」と名前をつけました。
聖ヨハネ・ボスコは、「キリスト信者の扶助者」という聖母の称号の中に、教会の中における救いとして、祝された聖母マリアの秘義の輝かしい姿を見ていました。彼は、夢の中で二つの柱を見ます。第一の柱の上には聖体、第二の柱の上には扶助者聖母の像が乗っていました。その夢は、聖ヨハネ・ボスコを大聖堂建築に着手へと駆り立てました。わずか半リラにも満たない資金から多くの仕事と犠牲を経て、トリノに扶助者聖母大聖堂を献堂しました。大聖堂に置かれた扶助者聖母の大きな絵画は、聖ヨハネ・ボスコが自らロレンツォーネに制作を依頼したものです。彼は、「18世紀の体験は、聖母マリアは天から継続して、教会の母、そして天において始められた教会とキリスト信者の助け手としての母の使命への最大の成功を、輝くばかりの方法でわたしたちに見せてくれます」と記しています。
サレジアン・ファミリーの第一の保護者、知識の先生としてマリアは、聖ヨハネ・ボスコが愛していたように、わたしたちも愛せるように助けを与えます。つまり、司牧における愛徳の模範として、聖母は福音宣教の星、人間性を高める星として輝いています。