最近、正しさというのはどういうことなのだろうとかよく考える。というのは、ささいなことから大きなことに至るまで、人間間の衝突において問題になるのはこの正しさということだから。すべての人が何らかの意味づけをして自分は正しいと思っている。思いこんでいる。しかしそれはまた他者の正しさとぶつかることになる。どちらも正しいと思っているからひっこまない。溝はますます深まっていく。相対主義の蔓延してきている世界において、自分の正しさだけを主張する原理運動が増え続ける傾向にあるのは当然のことか。一方で、正しさとの戦いに疲れ果て、関わること、対話することを止めてしまう人が多くなっているのも問題だ。 イエスは言う、「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と。正しさの基準をまず自分に置くことではなく、神の正しさを見つめること。自分の正しさは神によって保証されているなんていう見方ではなく、神の前に小さくなってぐしゃぐしゃになること。こうでなくてはマタイのように、イエスの招きには反応できない。
YS