ファリサイ派の人々や律法学士たちは律法の外面的な遵守に非常にこだわっていました。人を重んずるよりも律法というものを重んずるという考えに終始していたのです。自分たちのことは棚に上げて、人々に厳しい要求をしていたのです。イエスはこのような考え方に対して新しい考えを打ち出しました。律法のために人間があるのではなく、人間のために律法があると言われました。 イエスはまったく新しい考え方を打ち出したのです。ファイサイ派の人々や律法学者たちをそれを受け入れませんでした。イエスの考えを受け入れるためには、私たちの心も新しくならなければならないのです。新しいぶどう酒を入れる新しい皮袋にならなければならないのです。
鈴木英史